もっと真田丸、真田太平記 45回 最終回 真田家の行く末
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2016/09/02
もっと真田丸、真田太平記 45
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さて信之の読み通り、幕府からの呼び出しは「冬の陣後、大坂方についた左衛門佐・幸村と何故、許可もなく談合したのか」ということでした。のらりくらりとかわす信之の前に証人として出てきたのが、あの馬場彦四郎で、自分もその場に立ち会っていたのだから間違いないと断言します。
これを受けて信之は幸村との談合を認め、畳みかけていきます。あの時は和睦が成り、戦は止んでいた。それとも江戸方は、早くも夏の陣を想定していたのであろうかと。更に「あの談合はさる高貴な方の指示によるもの」。証拠を問う老中に、信之は江戸屋敷に保管してあると告げます。将軍家の許可を得る間に、その証拠の書状をと取りに行くことに。

画像参照:土曜日の美女たち
手ぐすねを引いて待ち構えていた老中たちの前で読み上げられた書状の送り主は「家康」。左衛門佐・幸村との密会を命じる書状、そしてその労をねぎらう書状。これにはさしもの将軍家とて、手出しは出来ません。ここで慈海和尚が、尾張・徳川家に仕込んだ浪人(角兵衛)を使うことを進言し、秀忠の了承を得ます。「これで済んだと思うなよ、豆州」。
江戸屋敷で小松殿と過ごした信之が上田に戻った頃、その角兵衛が尾張で人傷沙汰を起こして出奔したとの報せが届きます。地炉の間でそのことを信之から聞いたお江は、角兵衛様が上田に入るのを待って真田に咎めだてするつもりではないかと語ります。またこの席で、信之はお江に真田家の存続を図るためにも、側にいて力を貸してくれぬかと心中を明かします。

画像参照:土曜日の美女たち
そして、とうとう角兵衛が戻ったとの報せ。自分が会うという信之を留めて、三十郎が角兵衛に会いに行きます。角兵衛は病に倒れた母・久野の枕元に詰めており、三十郎は角兵衛に諄々と説きます。真田家は今大変な時であること、幕府に睨まれていること。城主・信之は、角兵衛がその素性を知る者たちによって本人がその意図に気付くことなく利用されてきたと考えていること。
このまま角兵衛様に上田にいてもらうわけにはいかないこと。三十郎の話が腑に落ちた角兵衛は、母・久野の目覚めを待って別れを告げたら城を出て行くと告げます。そして雪の舞う中、絞り出す叫び「俺はいつだって、裏目裏目じゃ!」。

画像参照:土曜日の美女たち
目覚めた久野は自らの先がそう長くはないことを悟り、枕元の角兵衛に話をします。「若い頃の私は多情であった」。そして告げられた、「そなたの父は安房守様ではないのじゃ」という言葉。武田の雑兵が本当の父であると。驚愕しつつも久野の話に耳を傾けていた角兵衛。そして小さく呟いた後、静かに席を立つ角兵衛、「母上、私はつくづく愚かでござった」。
「伊豆守様、私のこれまでの数々の所業は、真田家のためにならぬことばかりでございました。そして今、真田家を窮地に陥れたるは私のせいにございます。己が蒔いた種は己で刈り取らねばならぬと存じます。これが最初で最期のご奉公、少しでもお役にたてれば幸いに存じます」、この書状を残して角兵衛は自刃。ショックを受けた久野も、後を追うように亡くなります。
元和8年夏、信之のもとに松代への転封命令が下ります。表向きは加増であっても、実質は減封。父祖の地から離れることを嘆く家臣たちに檄を飛ばす信之。しかし地炉の間でのお江との密談では本音を隠すことは出来ません。

画像参照:土曜日の美女たち
ようやく戦乱が治まったと思ったら、今度は幕府や将軍家に気を使わねばならぬ。このように諸大名の力を殺ぎつつ、徳川は末永く続いていくのじゃ。親子兄弟が袂を分かち、戦い、死んだ。戦国とは一体何であったのか。天の下された試練か?それにしては意地が悪すぎる。それにしては儚すぎる、死んでいった者が淋しすぎる。じゃがなお江、わしは生きてみせる。生きて生きて、生き抜いてみせる。
元和8年8月、真田伊豆守・信之一行は松代へ向けて上田を発って行くのでした。信之はこの後36年を生き抜き93才で人生を閉じますが、真田の家名は幕末まで存続していくことになります。 完
真田太平記もこれで最後です。将軍家からの呼び出し、角兵衛の出奔と自刃、松代への転封。そして愛妻・小松殿の死、小野お通との別れ。全45回を通して描かれてきた、昌幸、幸村、信之の生き様。終盤、今までのシーンが映し出されますが、草の者一人として無駄な登場人物がおらず、命を捧げた夏の陣が甦ってきます。
転封が決まって後、信之とお江がしみじみと語り合う上記のシーンは最終回に相応しい、心に染みわたる場面で、渡瀬・信之のゆったりとした語り口の素晴らしさに今更ながらに胸を射貫かれる思いです。「忍者が出る」からと腰が引けていた自分が恥ずかしくなるような素晴らしい作品で、生涯を通しての宝物となることは間違いありません。名作は時の流れに褪せることなく、時代を生き残っていくのでしょうね。
土曜日の美女たち
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