もっと真田丸、真田太平記 23回 今にも始まる第二次上田合戦
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2016/08/28
もっと真田丸、真田太平記 23
沼田で家康からの命令を待つ伊豆守・信幸の元に、待ちかねた書状が届きます。秀忠軍と合流し、中仙道から美濃を目指せと。中仙道は上田をかすめて通る道。父・昌幸や弟・幸村と一戦交えることが現実味を帯びてきます。
画像参照:土曜日の美女たち
上田と戦になるかどうかは、秀忠の心次第。義兄・本田忠政と共に、上田への城明け渡しの使者となった信幸の元を滝川三九郎が訪ね、右近のこと、昔滝川一益に世話になったことを語り合う信幸。親と子が槍を向け合う事態になったことに興味を抱く三九郎に、しばらく逗留することを進めます。その頃上田では、信幸の元を出奔した角兵衛が戻り「上田本家のために闘いたい」と直談判。昌幸は渋々許します。
その頃の大垣城、徳川家康が赤坂に陣を敷くことを把握、石田三成に宇喜多秀家や島津が夜討ちを進めるのを一蹴。「治部は戦を知らぬ」と吐き出します。
真田の忍びたちも臨戦態勢で、2班に分かれて家康の首を狙うことにします。「狙いは、家康の首一つ!」お江は「単独で家康の首を狙いたい」と又五郎に申し出、「止めても無駄だろう」と承諾をもらいます。
山中大和守の配下である猫田与助も、徳川家康の戦陣で働くことを直訴。敵軍や真田の忍びが必ず家康を狙ってくるとの読みからで、これも許可されます。猫田与助に頼むはずだった「西軍の密使阻止」には重五郎が当たることになります。
画像参照:土曜日の美女たち
秀忠の使者として国分寺に出向いた信幸と本田忠政。信幸の口上に、昌幸は城をきれいにしてからお渡ししたい」と3日の猶予を願い出ます。秀忠は喜びますが、信幸は父・昌幸の真意に疑念を抱いています。
画像参照:土曜日の美女たち
約束の3日後、国分寺で昌幸を待つ信幸たちの前に現れたのは、昌幸の使者・矢沢三十郎。「上田は籠城と決しましたゆえ、攻めるなら攻められよ」。ここに徳川(秀忠)と真田本家との決裂が決定的になります。
秀忠軍が上田を包囲するために動き出した頃、上田では昌幸、幸村、角兵衛が談合中。夜討ちを主張する角兵衛に対して、「兄上ならば、夜討ちの可能性位は想定していよう」と幸村。「徳川家中にあって、我々のことで気まずい思いをなされていよう」とその心中を思いやる幸村。その幸村と角兵衛は砥石城で秀忠軍の動きを牽制することに。
画像参照:土曜日の美女たち
その頃沼田では、信幸からの書状に目を通した小松殿。上田との戦が避けられぬものとなったこと、信幸の心を思いやって沈む小松殿です。
今回は関ヶ原や第二次上田合戦へ向けて増していく緊張感、それぞれの立場故の懊悩や心中に、胸が締め付けられて涙腺が緩められる回です。誰かが死ぬわけでもないのに、物語の底流に流れる思いやどうしようもない現実に、静かに胸が締め付けられる。歴史はこうやって動いていくのだと、無常感にもとらわれてしまいます。こういう積み重ねが描かれるからこそ、「ここ一番!」が生きてくるんですよね。
土曜日の美女たち
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