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もっと真田丸、真田太平記 43回 徳川体制の始まり、家康の死

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もっと真田丸、真田太平記 43

 

豊臣家は滅び、徳川による政治体制の始まりが天下に明確となります。落ち武者狩り、西軍に加担した武将の親族探索も行われ、高野山・蓮華定院に身を潜めていた幸村の妻子も捕らわれの身に。

 

その徳川家康は二条城にあって、危ういところから我が身を救ってくれた滝川三九郎と面会していました。「…それに引き換え、我が旗本500の不甲斐なさはどうじゃ」、そして滝川三九郎に褒美をと申し出る家康、「一万石」、首を横に振る三九郎。「二万石か」、それにも首を振り三九郎は口を開きます。「我が兄上、真田左衛門佐幸村の妻子の身柄をお預け頂きたい」。一瞬言葉を呑み込んだ家康ですが、「お主は欲がないのう」と承諾します。このことはその場にいた本多正信によって将軍・秀忠にも伝えられ、真田に対する憎しみを募らせることになります。

 

ep4301
画像参照:土曜日の美女たち

 

一方江戸に留め置かれている伊豆守・信之も家康に謁見、幸村のことでの沙汰も覚悟しています。そんな信之に家康が開口一番、「伊豆守、大坂では酷い目に遭わされたぞ」。恐縮する信之に続けて「なれど、敵ながら見事な戦ぶりであった」。「伊豆守には、この後も徳川家への忠誠頼みますぞ」、そして信之が懸念していた領地について口にします。「沼田が良いか…上田が良かろうの」。徳川家城代として上田を預かっている信之でしたが、その上田が真田の手に戻ってくることが決まった瞬間でした。

 

信之が江戸詰を解かれて上田に戻って数日後、佐平次の妻・もよの元を一人の男が訪れます。男は摂津の百姓・徳之介。徳之介はある男に頼まれて上田に来たのだと語ります。「確か、名は佐助と」。身を乗り出すもよの「して佐助は無事に?!」という問いに、哀しげに目を伏せる徳之介。「佐助殿に、これをお預かりして参りました」、差し出されたのは小袖の切れ端。「これは私が縫ってあげた小袖じゃ!」泣き崩れるもよ、春。5月7日の夕方、徳之介は瀕死の佐助に小袖を託されたのでした。

 

ep4302
画像参照:土曜日の美女たち

 

もよの話を聞いた信之は、自身も徳之介に面会します。「此度は遠路にも関わらず、ご苦労であった。死人との約束など捨て置けたにも関わらず、その方の誠に対し、わしも心より礼を申す」、畑仕事もあってすぐには来れなかったことを詫びる徳之介に、しみじみと語る信之。信之から心ばかりの金品も贈られます。

 

雪の上田、別所温泉で身体を温める徳之介は居合わせた女人に、そのことを話します。「いやあ上田は良い所じゃ、何と言ってもお殿様が良い。ご家来を大切になされる」。相槌を打っていた女人がその小袖を託した男の名を尋ね、徳之介は答えます、「ただひと言、佐助と」。呆然とする女人は、別所温泉の安楽寺に身を寄せるお江でした。

 

ep4303
画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃、伏見から鈴木右近がやって来ます。小野お通から預かった品を持参して。六文銭が縫いつけられた羽織を見て、喜びを隠しきれない信之。しかし、鈴木右近は沈痛な面持ちでそんな信之にもう一つの包みを差し出します。「これは…」、そこに包まれていたのは幸村の遺髪でした。「危険を犯して、手に入れてくれたに違いなく」。雪が降り積もる中、信之の慟哭だけが響き渡ります。

 

春先、徳川家康が鷹狩の途中で倒れます。見舞いに駆けつけた将軍・秀忠と言葉を交わす家康。「将軍家には不満もあろうが、上田は豆州に遣わしてもよかろう。あの男は、父や弟と訣別してまでわしに仕えてくれた。わしはその誠に報いてやりたいのじゃ」。そして4月17日、大御所・徳川家康が永眠します。

 

ep4304
画像参照:土曜日の美女たち

 

今まで何かと庇ってくれた家康の死に、真田家の緊張も高まります。嫡男・信吉を沼田へ、次男・信政は人質として江戸へ。そこへもたらされた正室・小松殿を人質として江戸へ送れという命令に、憤慨する信吉、信政。病身であることを知りながらと憤懣やるかたない2人を諫めたのは当の小松殿で、全ては武家の務めと説きます。

 

別所温泉で佐助の最期を知ったお江も、小松殿を見送ります。あの日戦忍びに出た仲間は誰一人として戻らず、お江、小助、東治の3人のみが別所温泉の安楽寺に身を寄せています。幸村もいない今、お江は抜け殻のような有様ですが、見送りの時に馬場彦四郎を見かけ、再び忍びの血が…。

 

今回はずっと刺激されていた涙腺が、徐々に緩んできて徳之介の登場によって決壊します。訥々と語る徳之介、泣き崩れるもよ、春。そしてしみじみと徳之介に礼を言う信之。自身も幸村や家臣を失っているからか、この信之の言葉は切々と肌に染み入ります。そして小野お通から届けられた、幸村の遺髪。慟哭する信之の姿に、見ているこちらも涙。

 

真田太平記も、後2回を残すのみとなりました。宝物のようなこのドラマ、大切に最後まで味わいたいと思います。

 

土曜日の美女たち

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