もっと真田丸、真田太平記 36回 幸村、大坂の陣の準備
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もっと真田丸、真田太平記 36回
嫡男・信吉たちの出陣を見送った上田を、滝川三九郎が訪ねて来ます。今度の戦に、家康の使い番として従軍するとのこと。去り際、「徳川如きに、潰されてはなりませぬぞ」との言葉を残して行きます。大坂城では大野修理などが軍議を開きます。策を問われた幸村は伏見城を落として京に火を放つ間に恩顧の大名が来る等申し述べますが、大野修理は籠城を主張。現れた淀殿も断固として籠城を言います。
籠城しか道がないのであればと大助と共に城の南方を臨む幸村。父・昌幸の言葉が甦り、ここに出丸を築く決意を固める幸村。許可を得て出丸築城に乗り出した幸村の元を後藤又兵衛が訪れ、出丸のために使用している木材は自分の物だと苦情を申し入れます。

画像参照:土曜日の美女たち
徳川の主力は南から来ると確信して出丸を築くという幸村に折れ、又兵衛は出丸のことで「徳川に内通するのでは」との噂があることを忠告。その又兵衛に「二条城、伏見城を家康が来る前に落としておきたい」と相談、賛同を得て大野修理の元を訪ねます。しかし、これもあっさりと拒否されます。
その家康も談合中で、大筒を載せるための櫓建築、大坂城の真下まで穴を掘り進めるよう指示します。
その晩、思いがけない人物が幸村を訪ねて来ます。信之の元から出奔してきた佐平次で、うっすらと涙ぐんだ幸村は笑いながら「ふけたのう」。佐助も現れ、親子は再会を喜びます。妻・もよが縫った小袖を佐助に手渡して涙ぐむ佐平次。
久しぶりに佐平次と酒を酌み交わす幸村に、佐平次は今回は伊豆守様は出陣していないこと、信吉と信政の2人が出陣していることを告げます。自分のせいだろうと沈む幸村。そんな幸村に、佐平次はいつかの朝駈けのことを語ります。徳川に歯向かうてみたいと語った信之、すぐその言葉を打ち消して「わしには出来まいの」と語った信之のことを。

画像参照:土曜日の美女たち
その頃、奈良へ向かっていた家康一行が襲撃される事態が。襲ったのは幸村の許可を得た真田の者で、お江たち忍びも加担していました。首の皮一枚の差で家康を討ち損じたお江たちに、幸村は「後は正々堂々と戦うのみじゃ」とサバサバ。しかし山中忍び・慈海は角兵衛に大坂城へ入って幸村を討つよう唆します。
その頃上田の信之は大坂城の絵図を前にして思案顔です。鈴木右近が報せてきた真田丸を検討していたためで、微妙な嬉しさを込めて「侮っていると、痛い目にあうぞ」と小松殿に語ったりします。

画像参照:土曜日の美女たち
この他、小松殿ともよとのシーン、小松殿と信之のシーンなど、小さな見せ場が散りばめられている今回。何と言っても佐平次がボロボロになって幸村の前に現れるシーンは、しみじみと涙腺が刺激されます。言葉少なに迎え入れる幸村の表情も、佐助との対面を喜ぶ佐平次も、この後の死に向かって我々の心を締め付け、わしづかみにして離しません。
そして大野修理や淀殿に対して芽生える殺意(苦笑)。
土曜日の美女たち
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