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もっと真田丸、真田太平記 33回

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もっと真田丸、真田太平記 33回

 

慶長19年、九度山の山手殿、久野、昌幸の家臣たちが、徳川の許しを得て上田に戻ることになります。昌幸と曰くありげだった粂にもそう伝える幸村夫婦、しかし粂は行くところがないと九度山に残ることに。山手殿たちが上田に戻って半年、昌幸の命日を前に山手殿65才で死去。

 

 

画像参照:土曜日の美女たち

 

その年の秋、上田に角兵衛が舞い戻ります。何故九度山から離れたと咎める信之。上田に戻りたいと言う角兵衛に、信之が「ならば50石で仕えよ」とカマをかけますが角兵衛は再び出奔。馬場彦四郎に角兵衛の捜索を命じます。この頃の信之は幸村の許しを願い出、上田にての蟄居を得るという望みを抱いていました。

 

その幸村は九度山で大助に剣の稽古をつけてやりますが、大助が汗をかかないと知って兄・信之を懐かしく思い返しています。そこへ佐助から方広寺の再建が中止となったとの報せ。方広寺の鐘名の件で、徳川から苦情が入ったとのこと。このことは瞬く間に広がって行くのでした。大坂方では片桐且元が駿府を訪れて家康への面会を願い出ますが、中々叶いません。

 

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画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃角兵衛は猫田与助、慈海和尚らと共にあり、慈海に「九度山に戻って、幸村を見張るよう」諭されます。幸村が大坂に入ろうとしたら殺すことも。

 

京で角兵衛が馬場彦四郎や山中忍びと会っているのを目撃したお江はそのことを幸村に告げ、伊豆守のスパイ行為を疑いますが幸村は即座に否定します。

 

http://tvmovie.web.fc2.com/sanada/img/ep3302.jpg

画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃将軍家に呼ばれた本多忠政(忠勝の嫡男)は本多正信から、東西手切れとなった場合の伊豆守の忠節を問われ、「伊豆殿は徳川の忠臣」と断言します。忠政は即座に上田を訪れて信之に報告し、「くれぐれも用心を、左衛門佐様のことも諦めるよう」忠告します。信之は改めて、将軍家(秀忠)の真田に対する疑念の強さ、恨みの深さを目の当たりにします。

 

九度山では、大坂城の絵図面を前にする幸村に昌幸の幻が聞こえます。「左衛門佐、頼んだぞ」という、遺言とも言える昌幸の言葉が。

 

上田の地炉の間にこもり、本多忠政の言葉を噛み締める信之にも昌幸の幻が聞こえます。「豆州よ、何故真田はこの様に愚弄されねばならぬのかのう!」という昌幸の声が。眠れぬ夜を地炉の間で送った信之は早朝の野駆けへ、佐平次が信之を追います。

 

http://tvmovie.web.fc2.com/sanada/img/ep3301.jpg

画像参照:土曜日の美女たち

 

この時、信之は佐平次に胸の内を晒して曰く「近頃の大御所の為されようには、わしも不満じゃ。大坂へ難癖を付けているようにしか見えず、大御所に楯突きたいと考える時もある。わしにも真田の血は流れているのじゃ」驚く佐平次、しかし信之はすぐに理性に戻ります。「いや、わしには出来んの」。慶長19年の秋のことでした。

 

昌幸の死後、正室・山手殿や家臣たちが次々と上田に戻り、九度山は寂しい秋を迎えます。とは言え徳川の大坂に対する嫌がらせは止むことを知らず、有名な方広寺の鐘名事件が勃発、説明に駿府を訪ねた片桐且元は大坂に集まる浪人の件も咎められます。

 

今回角兵衛が再び山中忍びの手に絡め取られ、幸村暗殺という物騒な使命を押しつけられますが、ここは生温かく見守りましょう。見どころは、将軍家の言いがかりのような疑心に内心の憤怒を堪える信之、亡き昌幸の声を聞く信之。同様に昌幸の最期の言葉を聞く幸村のシーンです。

 

この頃九度山の真田に対する監視はかなり緩く、昌幸のいない真田は警戒の対象ではなかったとの説明がありますが、だからこそ信之も幸村の上田蟄居を望んだのでしょう。一人で真田を背負う信之の苦悩を思うと、どんなに幸村を取り戻したかったことでしょう。幸村の信之に対する信頼も揺るがず、泣かされながら2人を追う旅は続きます。

 

土曜日の美女たち

http://tvmovie.web.fc2.com/sanada/episode33.html

 

 

 

 

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