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もっと真田丸、真田太平記 26 関ケ原の戦い 西軍破れる

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      2016/08/28


もっと真田丸、真田太平記 26

 

慶長5年9月15日早朝、深い霧が辺りを覆う中、家康は桃配山を降りて関ヶ原東端に布陣、霧が晴れるのを待っています。石田三成も同様で、又五郎たち真田の忍びたちは森に潜んで戦況を見守る位置に。

 

その頃上田では、昌幸と幸村が囲碁で一戦を交えることに。

 

信幸が守る砥石城には仙石秀久が訪れ、「他の武将とも話したのだが、我らと共に上田に攻め入ってはどうか」と述べます。これを聞いた信幸、気迫に満ちた眼差しで「仙石殿は我らをお疑いか。我らが上田と呼応して、西軍に与するとお疑いか。ここまできた以上、無用の血を流す必要はない」と反論、仙石秀久はうつむいてしまいます。

 

ep2503
画像参照:土曜日の美女たち

 

霧が晴れ、西軍は鶴翼に陣を敷き、東軍は魚鱗の陣。関ヶ原の火ぶたが切って落とされました。

 

大谷刑部の元に、小早川・吉川・毛利が動かないとの報せ。三成はそれぞれに使者を立てます。毛利は使者に対して「弁当中」。島津は「島津は打って出る時には打って出る!」。小早川は「あいわかった」との返事。

 

昼頃には混戦模様で、三成の武将である島左近が戦死します。家康にも戦況が報告され、黒田・福島・細川苦戦で五分五分の戦いとのこと。焦れた家康は松尾山の小早川陣に向けて鉄砲を射かけさせます。徳川の家臣が入り込んでいる小早川陣では「西軍のために動かなければ良い」とのことではなかったのかという秀秋の抗議に、「動かないのなら、もはや西軍の味方と判断されましょう」との返事。小早川秀秋はとうとう腹を括り、味方であるはずの大谷隊に突き掛かっていきます。

 

ep2601
画像参照:土曜日の美女たち

 

小早川陣の裏切りと、自らの中からも裏切りを出してしまった大谷刑部は「もはやこれまで」と自刃。宇喜多、小西隊も潰されるに至り、三成は兵を引きます。これまで見ていた島津隊は逃げる道を選択、家康本陣目がけて突入すると思わせて、伊勢路目指して逃げるという大胆な策で逃げ延びます。

 

戦況を見守っていた又五郎たちはここで動き出し、家康本陣に突入します。乱闘の中、又五郎は家康目指して空を飛び、それを阻止しようとして山中匠が飛び、家康のすぐ目前には又五郎が放った槍が突き刺さります。空中で又五郎と山中匠は互いに討ちあい、共に地に崩れ落ちます。

 

ep2603
画像参照:土曜日の美女たち

 

山中匠の死に慟哭する山中大和守の長い髪が、真っ白に色を変えていきます。

一時は五分五分であった戦いも、夕刻には東軍圧勝となっていました。

 

大津の家康の陣にようやく到着した秀忠軍ですが、激怒した家康は秀忠に切腹を命じます。側に控えた本田忠勝が割って入り、謹慎処分で落ち着きます。「真田のせいで、こうなった」と、怒り心頭の秀忠。

 

三成、安国寺恵瓊、小西行長が捕らえられ、斬首。焦点は戦後処理に移っていきます。

 

又五郎班でお江たちが待つ忍び小屋に戻って来たのは、瀕死の才蔵ただ一人。才蔵の口から語られる死の間際の又五郎の様子。佐助たちは手掛かりを求めて関ヶ原の家康本陣近くを探し歩き、ようやく又五郎の身体を見つけます。首のない遺体を抱いて泣く佐助。

 

ep2604
画像参照:土曜日の美女たち

 

関ヶ原に勝った家康は大坂城西の丸へ入り、諸大名の処遇処理へ。家康の意向は大野修理(細川俊之)によって淀君に伝えられることに。

 

東軍勝利の報せを受けた上田では、「もう一戦してのけるかのう」と呟く昌幸に、幸村が釘を刺します「時の流れは変えられません」。

 

そして信幸の元には、岳父・本田忠勝から「至急上洛」を促す書状が届いたのでした。

 

今回は何も言うことはありません。夏八木勲さん演じる又五郎の討ち死にに、涙腺が緩くなって困ります。信幸の気迫にも惚れ惚れします。下手な説明は省きます。これを見ずに、何を見ると言うのでしょう!

 

土曜日の美女たち

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