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もっと真田丸、真田太平記 21回 いよいよ関ケ原の戦い

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      2016/08/28


もっと真田丸、真田太平記 21

 

徳川家康は「豊臣家に仇成す者」として上杉征伐を決定、誰が敵で誰が味方か判然としない中、忍びたちも各地に散って情報収集に務めます。そこに更に「三成挙兵」の報せが。その一報は丹波・昌幸の耳に入るものの使者は来ず、焦れる昌幸。上杉征伐にあたる徳川の軍として、東上を続けます。

 

ep2102
画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃、やはり上杉征伐軍に合流しようと美濃に陣を敷いていた大谷刑部の元を、石田三成の使者が訪ねます。「談合したいことがあり、至急佐和山にお越し願いたい」との口上に、ある予感を抱いて向かう大谷刑部。佐和山で石田三成の「内府殿に楯突くことにした」に、猛反対する刑部。

 

「徳川の上杉征伐は、治部殿の決起を誘うのが狙い。家康は朝廷からの許しを得ており、秀頼公から戦に際しての金子も賜っている。貴殿には名目がござらん、謀反人となってしまう」。刑部の必死の説得に沈黙を通す三成。「決起したとして、誰が味方してくれようか。貴殿には敵が多すぎる」、この刑部の言葉に頷く三成。沈黙の後、三成がひと言「お手間を取らせまいた」。

 

三成の決意を変えることは出来ないと悟った大谷刑部は覚悟を決め、一つの条件を出します。「人心を集めるために、総大将には毛利や宇喜多などを頂くこと」。三成は頷きます。談合後、陣に戻った刑部を又五郎が訪ねます。三成に味方することを伝える刑部、こう付け加えることも忘れませんでした。「この戦、勝てる戦ではない」と。又五郎は丹波・昌幸の陣を目指して出立します。

 

ep2103
画像参照:土曜日の美女たち

 

江戸に着いた家康の元にも、三成挙兵の報せが届きます。毛利輝元が西軍・総大将であることも。しかし同時に家康にも通じて来る者もあり、家康は会津に兵を進めます。そして毛利輝元が大坂城へ入城、家康への弾劾状を各武将に送り、西軍参戦を促すことに。同時に大坂にいる諸将の妻子が大坂城へと集められます。緒戦、3万で伏見城を囲んだ西軍は城を落とします。

 

下野・犬伏に陣を敷いた真田軍の元へ、石田三成からの使者が訪ねます。伊豆守・信幸へ使いを出した昌幸、戦況について幸村と語り合います。嵐の前触れのような空模様、落ちてくる雨粒。そこに信幸が到着、名護屋以来の盃を交わす親子。

 

ep2104
画像参照:土曜日の美女たち

 

三成からの使者が来たことを告げる昌幸に、信幸が断じます。「石田治部には、何の恩義もありません」。「治部にはなくとも、上杉の恩を儂は忘れてはおらぬ」と昌幸。外はにわかに嵐の模様。「今この時、家康を残すのと治部を残すのとでは、天下の行く末が大きく変わる」雷鳴が鳴り響き、光が闇を切り裂きます。

 

「家康では大坂が滅ぼされる」。昌幸の目を見て、怯むことなく語る信幸、「豊臣家と言うよりも、どちらが天下のためになりましょうや」。石田治部では天下が再び戦乱に陥ることになる、父上はそれを利用して世に出たいとお考えなのでは?!信幸の声の合間に挟まれる、昌幸の「豆州!」と耳を傾けている幸村、抑えながらも気迫に満ちた信幸の目力。親子の決定的な分裂を現すかのような、雷鳴。

 

「わ主はどうする」と問われた幸村、「父上と共に」。止めようとする信幸を制して、幸村は言葉を継いで語ります。「私には城がありません。ついては父上亡き後、上田が欲しゅうございます」見つめる信幸。「それに悪いことばかりでもありますまい。沼田がたち行かぬ時は、上田が」幸村のこの言葉を受け継ぐように信幸、「上田がたち行かぬ時は、沼田が」。幸村の思いを察した信幸は立ち上がり、これが親子、兄弟の最後の別れとなります。

 

ep2101
画像参照:土曜日の美女たち

 

関ヶ原前の緊迫した状況については、今まで数回に渡って描かれてきました。特に真田親子については「別れ」を象徴するかのように嵐、雷鳴、闇を切り裂く稻妻が描かれ、息詰まるシーンを作り上げています。今回は「犬伏の別れ」、見落としてはならない必見回です。

 

大谷刑部と石田三成の談合も静かな緊張に満ち、勝ち目はないと知りつつも三成に味方することを決断する刑部、その後又五郎との会談ではっきりとそう告げる様子、息をすることすら躊躇われる瞬間です。又五郎を始めとした忍びたちも色めき立ち、西に東に飛んで必死に状況をつかもうと動きます。落ち着いた様子で語る幸村と、真意を汲んで立ち上がる信幸、涙腺が弱くなったのか、泣かされる回です。

 

土曜日の美女たち

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