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もっと真田丸、真田太平記 17回

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      2016/08/28


もっと真田丸、真田太平記 17

 

朝鮮出兵から撤退、沼田では待望の男児が生まれ華やかな雰囲気に包まれています。大坂の幸村にも第一子で女児が授かり、よく似たご兄弟と微笑む信幸と小松殿(稲姫)。

 

その頃幸村は秀吉に、腹違いの妹・菊を石田三成の弟の元にどうかと相談され、口添えを依頼されることに。三成は朝鮮出兵時に真田家の剛毅な家風に触れ、いたく感動したこと、豊臣家のための強固な礎となるだろうと、こちらも願ってもないことと乗り気で、幸村は上田に使者を送ってみると返答します。豊臣家に絡め取られてしまうからか、幸村は少々浮かない顔です。

 

ep1702
画像参照:土曜日の美女たち

 

幸村からの使いを迎えた上田、菊(岡田有希子)は14才。山手殿は乗り気ですが、丹波・昌幸は気が進まない様子。手放したくないだけとからかわれますが、「石田治部の弟というのがのう」と呟きます。

 

同じ頃、真田庄の旧館に角兵衛が山中忍びたちと住み着いており、真田家への仕官の口添えを角兵衛に念押し。角兵衛は「身内の自分がここにいるのを知っているのだから、安房守自ら出向いて来るべきだ」と相変わらずの角兵衛理屈で酒をあおる日々。

 

そんな頃、秀頼の誕生で不安に苛まれた秀次の乱行が続き、とうとう自害を命じられる事態に陥ります。秀次の首は河原に晒され、正室や側女、子供に至るまで全て処刑され、世間を震撼させることに。

 

幸村や正室・於利世、上田の丹波・昌幸は秀次の正室が山手殿の妹であることから飛び火を懸念、しかし昌幸は「もしもの時には、太閤と言えども一戦交えてみしょうぞ」と意気盛んです。真田家がなくなることを案じる又五郎に、「沼田が残る。太閤と言えども、徳川には手が出せまい」とひと言。

 

秀次事件を報せる本田家からの使者・木島新六郎に対して、小松殿は報せが遅いことを咎めます。同じ報せは既に上田から届いており、これが一刻を争う決断を要するものであった時、夫である伊豆守・信幸への面目が立たないと述べ、新六郎に切腹を命じます。新六郎が腹を切ろうとしたその時、信幸が「罷り成らん」と止め、「本田家のお心遣いだけで十分、ご苦労であった」と礼を述べて帰します。

 

このシーンの小松殿は迫力に満ち、さすがは本田忠勝の娘、武士の娘感に溢れています。本当に腹を切ろうとした使者に、「三河武士とは、あの様なものか」と呟くのですが、小松殿の出自、時代背景や家風などを説明なく描いて十分なシーンだと思います。

 

秀次事件の余波を懸念する又五郎は別所温泉で傷を癒すお江に命じ、大坂へ出立して万が一の場合は「幸村様を上田へお連れするよう」言い含めます。

 

同じ頃、山中大和守は猫田与助にお江が上田を立ったことを告げ、京・大坂の真田の忍び小屋発見を命じます。最悪の場合は殺してもよいとも。お江と因縁がある猫田与助はとうとうお江を発見、矢を放とうとしたその時、地面が大きく揺らぎます。

 

「慶長の大地震」で、特に京・伏見での被害が大きかったといいます。そんな中再度の朝鮮出兵が決定、伊豆守・信幸は崩れた伏見城改修にあたることになります。

 

ep1704
画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃、上田では昌幸が矢沢頼綱を病床に見舞います。父の代から真田家を支えて来てくれた叔父であり、昌幸にとっても大きな存在。再度の朝鮮出兵に矢沢頼綱は「豊臣家は自らの首を危うくしますぞ」と語ります。続けて思いにふける昌幸に、矢沢頼綱は遺言とでも言うべきことを語ります。

 

ここで語られることが何と!、「真田の家一つ、天下にあってもなくてもよいと存じます。本家とか分家とか思い煩うことなく、好きに生きるのもよいかと」剛毅と言うか剛胆と言うか、伊豆守・信幸の沼田があればこその発言でしょうが、昌幸の心の奥を透かして見ての発言でしょうが、物凄いことを言う矢沢頼綱。

 

城改修のために伏見の真田屋敷に落ち着いた信幸を幸村が迎え、こちらも情報把握に意見交換。お菊の縁談を、昌幸がのらりくらりとかわしていること、上田が父・昌幸の手腕によって栄えていること、互いの子供たちのこと。そして上田からの使者が矢沢頼綱の死を伝えに来るのでした。

 

今回、心に残るのは丹波・昌幸と矢沢頼綱のシーンです。関ヶ原への布石と言ってしまえばそれまでですが、真田家分裂をほのめかすシーンは幾度となく描かれており、布石と言うには余りにも自然な人の心。徳川とも豊臣とも縁を持った真田家の揺らぎが、当時も実際にこんなだったのではないかと思わせられてしまうのです。

 

また今回、幸村は忍び小屋でお江と失踪後初めて対面しており、これも心に染み入るシーンとなっています。生死と関わらない安全な忍び働きを控え目に勧める幸村に泣けてきますし、これに無言で否と応えるお江にも胸打たれます。

最後に「お江に会いたかった」と本音を告げる幸村、美しく微笑むお江、静かだけれど何とも言えない余韻に浸れます。

 

土曜日の美女たち

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