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もっと真田丸、真田太平記 42回 幸村死す 夏の陣

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もっと真田丸、真田太平記 42

 

元和元年5月7日、幸村は毛利勝永と共に茶臼山に陣を敷きます。岡山口へは大野修理隊が布陣、夏の陣最後の決戦です。戦忍びを禁じられたお江は単身茶臼山山中へ、長爪1本を懐に忍ばせ幸村のフォローをするつもりです。

 

再三再四秀頼公の出馬を乞うてきた幸村ですが、森に展開していた毛利隊が鉄砲を撃ちかけられて出撃、ぎりぎりまで敵を引きつけて家康本隊を狙うという思惑は脆くも消え去ります。幸村は嫡男・大助を大坂城に送り秀頼公の出馬を再度要請すること、秀頼公の側を離れることなくお守りするよう申し渡します。最期まで父と共に戦うことを望む大助ですが、行かねば父とも子とも思わぬという幸村の言葉に大坂城へ向かいます。

 

大坂城で幸村の名代として出馬を促す大助、大野修理も共に出馬を乞いますが、淀殿の猛反対に秀頼もそれ以上どうすることも出来ません。

 
ep4201画像参照:土曜日の美女たち

 

その頃、先に動いた毛利隊が本多隊を突き崩し、焦れた家康が本隊を最前線に動かします。これを見て取った幸村はすかさず立ち上がり「出撃じゃ!」。幸村隊は松平隊と激突します。奮戦する幸村は草の者に「浅野が裏切った」との流言を流させ、兵が怯んだ隙を捉えて家康本隊目指して突破します。また四方から現れる幸村の影武者が戦場を撹乱、その隙に幸村はとうとう逃げ出した家康本隊を脅かし、馬印を蹂躙します。

 

ここで滝川三九郎が一人立ち塞がり、幸村は数度槍を向けますが、止めは射さずに笑みを浮かべて家康を追います。森に入った幸村は家康を発見して馬を走らせますが、立ち塞がる家康の旗本たちに馬を止め、後一歩の所で踵を返すしかありません。この様子をうかがいつつ、長爪で幸村の手助けをしようとしていたお江は、その場に泣き崩れます。

 

 

ep4203画像参照:土曜日の美女たち

 

西軍は奮戦するものの数に勝る東軍の前に徐々に劣勢となり、淀殿始め居場所を山里曲輪へ変えることに。この時大坂城の台所から火の手が上がり、大野修理の意を受けて家康の孫・千姫が城外に助け出されます。千姫の無事を喜ぶ家康ですが、淀殿・秀頼公の助命嘆願は将軍家の許しが出ずに、ここに豊臣家の滅亡が確定します。

 

ep4202
画像参照:土曜日の美女たち

 

家康を打ち損じた幸村は、安居天神の境内で身体を休めていました。身体は傷だらけで、歩くこともままなりません。そこに這うように現れた佐平次、再び会えたことを喜び合う主従。「いつの日にか、お主とわしは同じ日に死ぬるような気がする」と語り合ったことが蘇ります。しかしそこに松平隊の足軽が現れ、幸村を庇った佐平次は鉄砲に撃たれて死んでしまいます。

 

佐平次の身体を抱きしめて涙する幸村。「どなたかは知らぬが手柄にせよ」と居ずまいを正した幸村は、自らの首に短刀を押し当てます。「兄上、左衛門佐幸村、かくあいなりました。父上、これで宜しゅうござるか」、幸村49才、夏の陣の終わりでした。

 

明けて5月8日、山里曲輪が東軍諸兵に包囲される中、助命嘆願が叶わなかったことを知った淀殿たちは曲輪に火を放って次々に自刃。大助は「城を出られよ」との助言を振り切って、幸村の言葉通り秀頼公の後を追います。

 

ep4204
画像参照:土曜日の美女たち

 

幸村の死は滝川三九郎の急使によって、信之の元にも伝えられます。家康の元に届けられた幸村の首を、三九郎自身が検分したとの報せに、信之は無言で雨の中佇むのでした。

 

とうとう夏の陣、幸村討ち死に回です。大助や大野修理の説得によって一度は出陣を決意した秀頼ですが、やはり淀殿によって覆されてしまいます。徳川家康はあの老体に鞭打って最前線にまで出張って来ており、この時点で戦の趨勢は決していたと言っていいのでしょう。

 

そう言えば家康本隊を追い詰める幸村の前に立ちはだかった滝川三九郎は、前回「戦場で叔父・幸村隊と遭遇したら」と信之嫡男・信吉たちにアドバイスし、「退くのではなく、隊を割ってお通しなされませ」などとふざけたことを言っていましたね。今回、三九郎の抵抗によって家康は逃げる時間を得たのですから、人生とは分からぬものです。

 

安居天神での幸村・佐平次の最期はぜひご自身の目で確かめて欲しいと思いますが、この時幸村を討ち取ったとされる西尾仁左衛門は、戦後故郷の福井に幸村を祀っています。また首実検の後に、そこにいた諸将によって幸村の遺髪が持ち去られたとも言われています(武功にあやかるため)。

 

土曜日の美女たち

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