もっと真田丸、真田太平記 29 真田親子、九度山の暮らし
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2016/08/28
もっと真田丸、真田太平記 29
慶長15年2月、世間でも豊臣家と徳川家の緊張が噂されるに至った頃、佐助は浪人となった長宗我部を尾行、小野お通屋敷に入って行くのを確認しお江に伝えます。お通は豊臣家とも朝廷ともつながりがあり、淀殿に憎まれて大坂を去り、家康の孫・千姫の婚礼時には家康の願いで側に付いた女人で、徳川家とも昵懇。そのお通屋敷に何故長宗我部が?お江たちは屋敷を監視下に置くことに。
上田の信之の下には鈴木右近から、京に浪人が増えたとの報せ。来年に予定されている家康の上洛時に秀頼が自ら挨拶に赴けばともかく、今度も拒めば大御所はお許しにはなるまいと信之。小松殿の父・本田忠勝の病状を尋ねる信之、九度山の昌幸たちを案じる小松殿。昌幸親子が九度山に移ってから、既に10年の月日が経っていました。

画像参照:土曜日の美女たち
その頃九度山では、昌幸が忍びに熊本城を探ることを依頼。加藤清正の本心を知りたいと。
お通屋敷を監視する佐助とお江は、隣人である足袋職人が屋敷に消えるのを目撃。親子の素性を探ることを決めます。
その清正の下を本多正信が訪れ、「熊本城の堅固な造りはいかなる存念か」など詰問。はて?と首を傾げつつ「城は戦に耐える頑丈なものでなくば、ものの役にはたたぬ。徳川家のために九州に睨みをきかせるためでござる」と一笑に付されます。この会見の後、清正は伏見に詰める家臣・飯田覚兵衛に使者を送ります。
九度山で囲碁に興じる昌幸親子。「江戸と大坂は、必ず手切れとなる」と昌幸。大坂城の絵図面を広げながら昌幸「一度この大坂城で采配を振るうてみたいと思うておったんじゃ」。そして続けます「左衛門佐、わぬしならどう攻める」。

画像参照:土曜日の美女たち
問われて幸村、石をパチリと打ちながら「わたくしなら南から攻め入ります」。訳を問う昌幸に答えて曰く「玉造口は戦時の逃げ道。ここには攻めてこぬとタカを括っておりますれば、油断が生じましょう。それ故、わたくしは南から」。昌幸「まさにのう」と不敵な笑み。加えて「わしなら、ここに出城を置く」とパチリ。幸村「しばらくお待ちを」。昌幸が声を潜めて「わしは上田に甲冑を注文した」。昌幸を虎視する幸村。
そこに幸村の子供たちが入り込み、幸村は思わず叱り飛ばしますが昌幸にいなされます「恐い父上よのう」。上田の佐平次から荷物が届いたとのことで、胡桃を割りながら上田の夏に思いを向ける昌幸。佐平次から度々送られてくる荷物は実は小松殿からのものであると知る幸村は、「父上は姉上のことを女狐、女狐と呼んでおりましたな」と笑い、明るい空気に包まれます。

画像参照:土曜日の美女たち
その頃上田では、佐平次が九度山からの礼状を小松殿に持参。居合わせた信之は問い詰める内に事情を察します。「要らぬ物を佐平次に与えると九度山へ送ってくれるのならば、わしも佐平次に与えることにする」。その信之の下に、岳父・本田忠勝危篤の報せが届きます。小松殿の制止を振り切り、単身江戸へ向かう信之。
今回お江や佐助などの忍びたちも大活躍しますが、割愛しています。初登場の「小野お通」は顔見せはまだ先、屋敷に出入りする人たちが描かれています。更に蟄居に飽きた角兵衛が昌幸に「山を降りて、徳川と一戦を」と絡みますが、「上田の伊豆守が取り潰しになる」と諫められ、更に言い募る角兵衛を一喝。面白くない角兵衛に、例によって忍び寄る山中忍びの重五郎(苦笑)。
見どころは、何と言っても昌幸・幸村の囲碁シーン。パチリと石が打たれる度に増す緊張感、緊迫感。甲冑を頼んだと聞いた時の幸村の表情と、直後に走り込んで来た大助を怒鳴るくだり。これを見ずして、何を見るというのでしょうか。
土曜日の美女たち
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