もっと真田丸、真田太平記 32回 ついに秀頼公が家康のもとへ
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もっと真田丸、真田太平記 32
慶長16年3月6日、徳川家康は駿府を立ち京を目指します。二条城に落ち着いた家康は京都所司代・板倉勝重と情勢について談合、加藤清正らが奔走していることも話題に上ります。その加藤清正は浅野幸長、高台院と共に淀殿、秀頼公を説得することを決意。
その頃大坂城では未だ上洛を言って来ない家康を警戒し、もしもの時には「秀頼公は病気」と答えることが既定路線とされつつありました。当の秀頼は千姫の元を訪れ、江戸の爺が京に参っているそうだなどと噂話、会いたいが「行っても行かずとも、騒がしくなろうの」と呟きます。

画像参照:土曜日の美女たち
高台院と加藤、浅野の3人が大坂城を訪れ、淀殿の説得に当たります。その席に家康からの書状を預かった片桐且元が参上、上洛の要請と共に「家康から人質を入れる」との文言があることから、さすがの淀殿も折れることになります。
その頃九度山の幸村も秀頼の上洛を知ります。と同時に「角兵衛が裏切っていること」「弥五兵衛と連絡が付かないこと」も知らされ、懸念することに。

画像参照:土曜日の美女たち
一方、昌幸と山手殿は縁側でしみじみと来し方を振り返り中。故・信玄公の命によって仕方なく嫁にもらった、そなたも嫌々ながら参ったのであろうとの昌幸の問いに頷く山手殿。戦の連続であったと語る昌幸に、私も女子の影を見る度に戦の連続でしたと山手殿。「このような生涯にしてしもうたの」としみじみ労る昌幸に「何の」と答える山手殿、46年添い遂げた夫婦の美しい姿が含蓄深く描かれます。
慶長16年3月28日、秀頼公がとうとう二条城へ。沿道は人々で埋め尽くされ、幸村と佐助の姿もその中に。喜びを露わにする家康、千姫のことなど話は尽きません。対面の後は加藤清正らが秀頼をもてなし、無事大坂城へ送り届けます。しかし加藤清正らは利発な秀頼が家康の目にどう映ったか、気に掛けています。幸村から秀頼の様子について報告を受けた昌幸も同様で、これで納まるわけがないと見抜きます。

画像参照:土曜日の美女たち
その頃、加藤清正の自慢の料理人・梅雪に甲賀から密命が下ります。梅雪は加藤家に植え付けられていた甲賀の忍びだったんですね。秀頼の上洛を見届けた加藤清正は淀殿を訪れ、最後の諫言とでも言うべき言葉を送ります。「もしこの後豊家を滅ぼさんとする者があるならば、それは豊家自身に有り」。この言葉がどういう意味なのか、個人的には頑な淀殿に向けられたものだと感じますが淀殿はどう受け止めたでしょう。この直後、清正は病に倒れます。
上田の信之に「幸村を京で見た」との鈴木右近からの報告が届いた頃、将軍家の忍び・呉服屋が火事に見舞われ、主は行方不明だとの馬場彦四郎からの報告。しかし彦四郎もまた親の代からの甲賀の忍びで、呉服屋の主は彦四郎が処分していたのでした。

画像参照:土曜日の美女たち
その年の初夏、再び昌幸が倒れます。昌幸が幸村に残した言葉は「わしに夢を見せてくれ、見果てぬ夢を」でした。6月4日、真田安房守・昌幸は65年の生涯を閉じます。
今回、加藤清正たちの秀頼面会に向けた働きには目頭が熱くさせられます。「真田太平記」での高台院も徳川方ということはなく、必死に手切れを防ごうと尽力しますし、立派に育った秀頼を見て涙ぐんだりしています。そんな秀頼に幸村も「豊家は安泰」と結論するのですが、そこは昌幸の見方の方が正しいのは年の功でしょうか。繰り返し昌幸から夢の成就を乞われる幸村、その人生が激変するのはもう少し先です。
土曜日の美女たち
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