もっと真田丸、真田太平記 35回 幸村 大坂城入場するが
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もっと真田丸、真田太平記 35
慶長19年10月1日、とうとう徳川家康の出陣命令が下ります。上田の信之は出陣する信吉、信政を前に将軍家や諸大名の真田に対する疑念が強いことを告げ、戦場で左衛門佐の軍と対峙しても臆すること無く存分に戦え、それが叔父・左衛門佐に対する礼儀であると訓示します。
初雪が降ったその朝、九度山では忍び小屋へ移る於利世たちが出立、幸村と大助は見送ります。

画像参照:土曜日の美女たち
大坂へ出陣する上田真田の供を命じられたのは、佐平次。しかし佐平次の頭を過ぎるのは、幸村と語り合った時の思い出ばかり。「俺とお主は、いつの日か一緒に死ぬるような気がしてきたぞ」。そんな佐平次の心中が痛い程分かる妻・もよは佐平次に旅仕度を手渡します。このまま上田真田軍として戦に参加すれば、幸村方の佐助と戦うこともあり得ることも憂慮、佐平次は大坂に向けて出立します。
翌朝、佐平次がいないことに気付いた信之、もよが平伏して詫びを入れます。佐平次たちの心と行動が見えた信之はもよたちを処罰することなく、以前と同様仕えることを命じます。小松殿は佐平次を伴に選んだのは、大坂まで行けばすぐにでも幸村の元に行けるという信之の深謀だったことに思い至ります。

画像参照:土曜日の美女たち
その後、信之はお忍びで上田の甲冑士・来島喜左衛門の元を訪ね、初陣の時の甲冑など昔話をしみじみと語り合います。「わしも時には父・安房守や弟・左衛門佐のように、何もかも捨てて自由に己自身のためにのみ生きてみたいと思うことがある」と心中を漏らす信之。
そして喜左衛門に本題を告げる信之。「今日は、甲冑の代金を支払いに来たのだ」。恐縮しながらも、代金は頂いている旨告げる喜左衛門。そして一体だけ残っていた赤備えの甲冑を信之に見せます。「左衛門佐様の甲冑です」。

画像参照:土曜日の美女たち
「大坂へ連れて行け」と絡む角兵衛の酒に眠り薬を仕込み、幸村・大助・忍びたちは九度山を後にします。それを見つけた猫田与助はお江に狙いを付けますが、病に犯された身体ではいかんともし難く、川に落ちてあえなく最期を迎えます。
大坂城に入った幸村親子を歓迎する大野修理、しかし豊臣恩顧の大名は誰も来ていないことを告げられます。謁見した秀頼公も以前の利発な面影はなく、複雑な思いを抱く幸村。

画像参照:土曜日の美女たち
大坂城中にあてがわれた部屋で、思わず呟く幸村。「わしはその方たちを無駄死にさせようとしているのかも知れぬ」。しかし言葉を次いで「例え大坂が負けるとしても、真田の力を世に示すのじゃ。死に花も花なら、一度は咲かせてみたいではないか」。
とうとう江戸と大坂が手切れとなり、幸村親子は大坂城に入城します。入城したものの秀頼公の変貌に失望したりと切ない幸村、いっそ徳川に寝返ってとも思ってしまうのですが、それはやらないのですよね。幸村の悲願は真田の武名を上げること、男としての矜持だから。
幸村を思って溜息をつく佐平次、胸中を察している妻・もよ。幸村が注文したであろう甲冑の代金を隠密裏に支払いに行く信之。赤備えの幸村の甲冑を見て、息を呑む信之。1人1人の胸中を思うと胸が締め付けられて、こちらも歴史の渦に投げ込まれ、もがいているような気持ちにさせられます。この先も後もう少し、終わってしまうのが悲しいけれど、涙と共に大事に見届けることになるでしょう。
土曜日の美女たち
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