真田丸 赤備えは、覚悟の証
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真田の朱は覚悟の証
戦国時代最後の戦となる大坂の陣で真田信繁率いる真田隊は、深紅で自らを染め抜きます。
赤や紅色は現代でも「勝負色」として使う人がいる色、何事かの勝負に挑む時に自らの覚悟を現す色でもあります。この「赤備え」はどこから来て、真田信繁に受け継がれたのでしょうか。
武田家中で生まれた赤備え

この赤備えが生まれたのは戦国武将・武田信玄率いる武田軍団が最初です。
勇猛果敢で知られた飯富虎昌が跡取りではない次男級を赤備えで組織化し、自らの働きで領地恩賞を得られるよう作り上げたと言われています。
稼ぎは自分の働き一つ、戦場では良くも悪くも目立つ色を身に付けて、精鋭部隊が育て上げられていったのでしょう。

画像参照:財団法人 歴史博物館 信玄公宝物館 武田二十四将図
飯富虎昌は武田二十四将にも名を連ねる武将で、信玄の嫡男・義信の傅役も勤めていましたが、義信事件により失脚、飯富の赤備えは身内である山形昌景が引き継ぐことになります。
ちなみに武田二十四将には真田一族復興の立役者であり昌幸の父親・幸隆、昌幸の兄・信綱、そして真田昌幸の3人が入っており、信玄傘下の武田家中で決して小さくはない存在であったことが見てとれます。
※義信事件 武田家は信玄の父・信虎を今川家に追放、義信の正室を同家から迎えるなど浅くはない関係を今川家と結んでいましたが、今川家の没落と織田信長の勢力拡大、そして今川領侵攻を企図する狭間にあって家中で意見の相違があったと推察、信玄暗殺を企てる動きがあったとされています。事件後義信は廃嫡されました。
旧武田家臣団を受け入れた徳川家に続く赤備え
武田家滅亡後、徳川家で積極的に武田家臣団を受け入れたこともあり、多くの将兵が徳川家に吸収されました。
山形昌景の赤備えも徳川・井伊家に引き継がれ、井伊の赤備えとして生き残っていきます。
その勇猛果敢な戦振りは「井伊の赤鬼」として勇名を馳せましたが、大坂の陣になると実戦経験のない若い世代も多く、きれいな赤備えに身を包む彼らを見て徳川家康は嘆いたと言われています。
六文銭と深紅のツツジ

真田は武田家に仕えた家臣、信繁の赤備えは武田の流れを受けたものと言っていいのかもしれません。
戦場で一際目立つ赤備え、「深紅のツツジの咲きたる如く」と評されたこともあります。
当時、赤や紅色を出すのに使われていたのが辰砂(しんしゃ)という鉱物で、とても高価なものでした。
武田家でも誰でも勝手に使って良い色ではなく、だからこそ貴重で誇り高い色だったのでしょう。

六文銭を真田家の家紋・旗印にしたのは、真田家開祖の真田幸隆公。
そこに込められた思いは不惜身命、この一戦一戦を命を惜しまず戦い抜くという覚悟を現したものです。
「赤備え」といい、現代感覚では「格好いい!」でしょうが、戦場に静かに佇む赤備えの迫力と気迫は、死を恐れない軍団への底知れぬ恐怖と畏怖の念を呼び起こしたのではないでしょうか。
NHK大河ドラマ「真田丸」公式ホームページ
財団法人 歴史博物館 信玄公宝物館公式サイト
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